芥川龍之介「杜子春」あらすじ・読書感想文|教訓・作者が伝えたい事とは?

芥川龍之介の短編小説「杜子春」は、中国の伝記小説を童話化したもので、お金や愛情について考えさせられる物語です。やや教訓めいたところがあるものの、子ども向けの短い作品ということもあり、サラッと読めてしまいます👀だから、読書感想文の題材としても書きやすく、よく選ばれる一冊です。

本記事では、「杜子春」の

  • あらすじ
  • 読書感想文
  • 教訓・作者が伝えたいこととは?

についてまとめています。あなたが感想文を書く際のヒントになればうれしいです(*^^*)

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あらすじ

ある春の日暮れ、唐の都洛陽の西の門の下に、ぼんやりと空を仰いでいる、一人の若者の姿があった。若者は名前を杜子春と言って、昔は金持ちの息子だったが、今はその財産も使い尽くして、その日の生活にも困るほどの貧乏者になり果てていた。

その頃の洛陽は非常に繁盛をしていて、その往来にはひっきりなしに人や車が通っていたが、杜子春に気をかける者は誰もいなかった。杜子春が途方に暮れていると、彼の前に老人が足を止めた。そして、杜子春にある場所を夜中に掘るといいと告げたのだった。言うとおりにした杜子春は、一日のうちに洛陽の都でも一番の大金持ちになった。杜子春はすぐに立派な家を買い豪遊をした。友人や洛陽中の人達を豪邸に招いたりしていたのだが、そうこうしてるとお金も当然そこを尽きてしまった。

元通りの貧乏人になった杜子春は、再び洛陽の西門の下に佇んでいた。そこへまた老人が現れ、杜子春にここを掘るのだという指示をした。その結果、杜子春はまた富豪になるのだが、今まで通りの豪遊を行い、再び一文無しになってしまう。

三度西門下に佇む杜子春の元に、老人が現れた。そして再びここを掘れ…と伝え始めるが、それを言い切るより前に杜子春は老人の言葉を遮ったのだった。そして杜子春は「貴方の弟子にしてください」と告げる。老人は仙人だったのだ。

仙人はいいぞといい、杜子春を自身の住まいの峨眉山に杜子春を連れていき、弟子にするための条件を告げた。それは仙人が留守にしている間、どんなことがあっても言葉を発してはいけないというものだった。

それから様々な出来事が起こるが、しばらく杜子春が口を開くことはなかった。しかし、地獄で閻魔様に馬になってしまった両親が痛めつけられている時に、遂に杜子春は一言「お母さん」と叫んでしまった。

結局、杜子春は仙人にはなれなかったが、人間らしい正直な生活をしようと決めたのだった。

読書感想文

杜子春がお金を持っているかどうかで、周りの人々の態度がころころと変わるのがとても印象に残った。人との付き合い方についていろいろ考えさせられる小説だと思った。

杜子春は昔はお金持ちだったが、両親の財産使い尽くし、貧乏人になってしまっていた。途方に暮れていた杜子春だったが、そこに不思議な老人が現れて助言を行う。その助言通りにした杜子春は一夜にして大金を手に入れ富豪になるのだが、莫大なお金を手に入れてしまった彼は豪遊におぼれてしまう。しかし、お金を使い果たし貧乏人に戻ることとなった。

人にもよるだろうが、お金は人の暮らしだけでなく考え方・生き方を変えてしまうものだと感じた。杜子春はもちろん、今まで何にも助けてくれず、声もかけてくれなかった友人や街の人達もそうだ。手のひらを返したように、杜子春とともに宴に興じていたからだ。私は、今まで自分を助けてくれなかった人たちを豪邸となった自宅へ招き入れる杜子春は心が広いのか、もしくは愚かなのかどちらなのだろうと感じた。

貧乏に戻った杜子春の前を、一緒に豪遊に興じた友人や街の人々が通り過ぎるわけだが、彼らが杜子春を助けるようなことはなかった。そんな彼らの態度に、他人とはとても薄情なものなのだと思い、悲しくなってしまった。杜子春の人となりで付き合っているわけではなく、お金を見ていただけだった。

私は誰かと友達になる時に、本当にその人自身が好きだから友達になっているのだろうか、とふと考えた。

あまり普段そんなことを考える機会はないし、そんな計算なんかせずに自然と友達はできていたと思っていた。でも、中学・高校と年を重ねるにつれて、すこし自分にとって得か損かで友達を選んでいるような気もする。

例えば、同じバンドが好きでライブに一緒に行けるから、というのが一番の理由で付き合っている友人がいる。ライブに一人で行くのは抵抗があったけど、一緒に行ける人が見つかった!と嬉しくなって、仲良くなっていった気がする。

例えば、話しかけたいけれどなかなか話しかけれない気になる子。その子と仲の良い友達に近づいて、そこから外堀を埋めていこうとしたことがあった。本当に仲良くなりたい人に近づくために、その人とつながりのある比較的話しやすい人と先につながろうという作戦だ。

このような人間関係の作り方は、小学生の時にはほぼしなかったと思う。そんなこと何も考えずに、ただ気が合うかどうか、一緒にいて楽しいかどうか、それだけだった。でも、大人になるにつれて、いろんな理由を抱えながら、人付き合いをしていることに気づく。あの人と仲が良いとこんなメリットがある、あの人と仲良くしてると周囲から白い目で見られる、などなど。

この小説に出てくる杜子春の周りの人々まであからさまだと問題だが、ある程度は仕方のないことだとも思う。自分が楽に生きていくための術だとも考えられる。

でも、たまにはそんなことを忘れて、シンプルに生きてみるのも素敵だなと感じた。仙人に弟子入りした杜子春の行動を見て、感動したからだ。

仙人は杜子春に幸せな人生を過ごしたければ、何があっても何も言葉を発してはいけないと言って出かけて行った。さまざまな恐怖が襲ってくるも、何とか耐えていたのが、閻魔様が両親を打ち付けるところで最大のピンチがやってきた。母が「貴方が幸せになるためなのだから黙っていなさい」と言うやいなや、「お母さん」と叫んでしまったのだ。

杜子春はそれまで富豪になって貧乏になってを繰り返していくうちに、他人の薄情さを思い知っていた。だが、ここへきての母親の優しさ、情の厚さを感じそしてその母親を助けるために遂に声を発してしまったのだ。この杜子春の行動は優しく愛情にあふれている。仙人の言いつけには反してしまったが、きっと杜子春の行動は正しいのだと思った。

この小説を読み、人との関係はお金などの背景で変化してしまうことがあるが、一方で何にも左右されない関係もあるのだと改めて感じた。親子の愛情であったり、真っすぐな友情であったりだ。始まりは損得での関係であっても、いつの間にか心でつながる関係に変化することも充分あると思う。つまり、どんなきっかけであっても、背景だけじゃない関係づくりを意識することで、きっと見え方が変わっていくのだろう。それに気づけると、より誠実な生き方・幸せに近づけるのだろうなと感じた。

「杜子春」の教訓・作者が伝えたいこととは?

この物語の教訓は、

相手を心から思いやる気持ち、見返りを求めない愛情の素晴らしさ

ということでしょう。

前半では、杜子春がお金に振り回されて、喜んだり苦しんだりする様が描かれています。

そして、お金に困らないために仙人に弟子入りしたものの、修行の中で母親の愛情を感じ、仙人になれずに終わってしまいます。でも、それでも杜子春は満足でした。人間にとって本当に大事なものに気づけたからです。

仙人が見せた幻(母親が苦しむ様子)を通して、杜子春の価値観がこのように変化したのです。

  • 杜子春が仙人に憧れた理由⇒お金(うわべだけの幸せ)
  • 仙人になれずとも満足している理由⇒無償の愛情(心からの幸せ)

この点を、あなたの言葉で整理して感想文に入れることで、より中身の濃いものになると思います☆

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まとめ

芥川龍之介「杜子春」について見てきました。一言で内容を要約するなら、杜子春がお金より大事なものに気づくというストーリーと言えますね。

当然、子ども向けの作品なので子どもが読んでもしっかり伝わるのですが、大人になってから読むとより実感としてわかるものがあるように思います。

大人になってから読んでみるのも、おすすめの作品です☆

さあ、ぜひ素敵な感想文を書いてみてくださいね(^^)/

kanren01
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