芥川龍之介「羅生門」あらすじ・読書感想文|人間の”善と悪”とは?

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芥川龍之介の短編小説『羅生門』は、平安時代を舞台に”人間の悪”が描かれた物語です。追いつめられた主人公(下人)の善と悪の間で揺れ動く気持ち、あるきっかけで悪へと傾いていく様子が劇的に書かれており、とても印象に残る作品です。

読書感想文にもおすすめの一冊です。本記事では、『羅生門』の

 

  • 簡単なあらすじ
  • 読書感想文(2作品)

 

をご紹介しています。きっと読書感想文の書き方のヒントになると思いますので、ぜひご覧になってみてください👀

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「羅生門」あらすじ(ネタバレ)

ある雨が降る夕暮れ時。

身分の低い男がこれまで仕えていた家から解雇され、行くあてもなくフラフラと都を歩いていた。そうするうちに朱雀大路にある都の入口・羅生門へとたどり着いた。そこには、男の他に二、三人雨宿りする人がいてもよさそうなのに、誰一人としていない。

その頃の京都は、地震や災害、飢饉など悪い出来事が続いており、羅生門には食べていくことが出来なくなり、餓死した死体や病気になって生きていくことが出来なくなった人たちの死体が無残に打ち捨てられているという場所だったのだ。

 

男は明日から盗賊になるのか餓死するのかと自身の行く末を案じつつ、一晩の雨をしのぐ宿代わりにと横になって休めるスペースを探して羅生門の二階へと続く階段を上ることにした。

 

男は、荒れ果てた羅生門の二階には死体しかないと思い込んでいたのだが、登った先には一人の生きている老婆が女性の死体から髪の毛を引き抜いていた。

その様子をしばらく見ていた男は、老婆に対して謂れのない憎悪が生まれ、老婆に向かって足を一歩踏み出した。男に気づいた老婆は驚いて、その場から逃げようとするが、すぐに男に捕らえられてしまう。

男は老婆に「何をしているのか」と問うと、老婆は「抜いた髪の毛を鬘(かつら)にする」と言う。さらに、「ひどいことをしているかもしれないが、生きていくためには許されるだろう」とも言った。

その一言に男は嫌悪感を抱きつつも勇気を得た。男は自身について、明日からは盗賊になるのか、でなければ餓死する道を選ぶのかと途方に暮れていたところだったからだ。

 

男は、老婆を嘲る様に見て「己が引き剥ぎをしても許されるのだ」と言い、老婆が着ていた衣服を剥ぎ取り、羅生門から走り去った。やっとのことで老婆が階下を覗いた時には、男の姿は見えなかった。その後の男の行方は誰も知るところがない。

 

「羅生門」読書感想文(2作品)

①読書感想文

平安時代を描いた作品とは、登場人物が裕福な貴族(公家)であり、宮中において恋に悩む男女を描いたり、優雅に蹴鞠や宴を楽しむ様子が描かれているのかな、というのが私のイメージだった。しかし、この作品はそんな宮中の優雅なイメージを根底から覆すような、貧困に喘ぐ一般庶民に焦点をあ当てている。どこか金持ちを憎んでいるかのような印象を受けた。

 

この作品の舞台となった平安時代の京都は、地震や災害、火事や飢饉などの不幸な出来事が続いたことによって、庶民の生活が苦しくなり、死体を処理することも出来ずに羅生門にうち捨てているという悲しく暗い時代を描いている。

 

平成の現代においても、地震や災害などによって多くの人々が亡くなり、今現在も苦労を強いられている人たちがいる。この作品を読んで、この不幸な平安時代と現在の平成の時代には、共通点があるような気がした。特に平安時代には、自然に起こった災害は防ぎようもなく、庶民には大打撃だったことだろうと想像する。現代の日本は、技術的にも優れているが、それでも完全な復興はまだまだ出来ていない。家もつぶれ、食べるものもなく、途方に暮れた当時の庶民は、どれほどの長い年月をかけ、どのようにして立ち直ることが出来たのだろうか。

 

仕事が無くなった男は、盗賊になるか餓死するかと究極の選択を迫られ、途方に暮れる姿が描かれている。現代であれば就職活動をして再就職先を見つけるところであるが、当時はそう簡単には見つけられなかったと想像する。羅生門にたどり着いた男は、生きる糧を得られなければ、食べることもままならず、そこに捨てられた死体のように、いつか自分自身もそうなることを予告されているかのような絶望感に溢れている。

さらに男は老婆に会うまでは、盗賊に身を落とすことよりも、餓死することを考えているように描かれている。犯罪を憎む気持ちが男の心の中にあるからであろう。この時代であれば、盗賊になれば犯罪者となり地獄に落ちてしまうと考える人も多かったからではないだろうか。現代でも人のものを盗めば犯罪者となり、警察へ捕まってしまうが、当時のように地獄へ落ちるという宗教的な考えはあまりない。

 

盗賊になるか、餓死するかと考えていた男は、老婆が生きていくために女性の死体から髪の毛を抜き鬘にすると聞いたことから、餓死するよりも生きていくことを選ぶ。

「勇気を得た」と本文では書かれているが、そのことを勇気と呼んでいいものかと疑問に思うところではある。しかし、今でも「死ぬ気になれば何でもできる」と表現することを耳にすることがあるので、それがここで言うところの「勇気」なのだろう。そして、男は自ら老婆の衣服を剥ぎ取り立ち去って行く。犯罪者になった瞬間である。

 

老婆がしていたことは、現代ならば死体損壊の罪に問われることだ。しかし、当時はそのような法律もなく、道徳的観点から悪い事と判断されていた。だから男は、初め老婆に対して嫌悪感を持ったのだ。結局は老婆の「生きていくためには許されること」という言葉によって「勇気」を得て、盗賊となってしまったのだが。

 

この作品が書かれた大正時代は、明治の動乱期を終え、安定した「大正ロマン」と呼ばれた華やかな時代である。そんな時代にこのような暗く悲しい作品を描いたのには何か理由があると考えられる。生きていくために必要な悪があるのか。大正時代もまた、一部の貴族が横行し、彼らだけが幸せであるのに、世の中の人がすべて幸福であると錯覚していたのではないだろうか。

 

現在の日本においても、様々な犯罪が起こっているが、自分さえよければいいという気持ちの上での貧困が原因ではないかと思う。この作品は、そんな心の貧困の問題を表現しているのではないだろうか。だからこそ、すべての人々が、心から笑い、楽しく生きていく、心の豊かな世の中にしなければならないと思った。

 

②読書感想文

私はこの小説を読み、人によって悪への感じ方は違い、それは何かのきっかけで簡単に変わってしまうものであると思った。全ての価値観はそうなのかもしれないが、この小説ではそれを悪への感情という形で表現しているのだと感じた。

 

この話の舞台になった門のある京都の町は寂れていおり、羅生門の修繕も後回しになっていた。そのため、羅生門は盗人が棲んでいたり、死人が捨てていかれたりするような無法地帯になっていた。主人公である下人は、おそらく羅生門から盗人の事を想像し、勤め先を失った自身の将来を想像したのだろう。自分もこのままでは盗人になるほかないのではないかと。

 

しかし、とりあえず今晩の寝床が欲しいと思った下人は、門の上の楼へ上ることにする。どうせそこには死人しかいないだろうと思ったゆえの結果だ。下人が門の上の楼に登ると、そこには死人の髪を抜いている老婆がいた。それを見て、下人は激しい憎悪を感じるわけだが、その憎悪は老婆に対してだけでな、くこの世の悪に対する憎悪だった。その憎悪を感じた時の下人の胸の内では、門の下で考えていた「このままでは盗人になるしかないだろうか」という思いは見事に消えていたのだった。下人の心の中にあったのは悪への嫌悪感だった。

 

下人は老婆に歩み寄り、何をしていたのかを問いかけるわけだが、老婆は突然の下人の登場に身をすくませながらも「かつらを作るために死人の髪の毛を抜いていた」ことを白状する。その答えの平凡さに下人は失望するわけだが、再び老婆のしている事への憎悪や嫌悪感がこみあげてくる。

そんな下人の様子を見た老婆は言い訳を口にする。「この女は生きている時にも悪事を働いていた。そのため、私がこの女の髪の毛を抜こうがきっと大目に見てくれるだろう」というそんな言い訳だった。

それを聞き、下人は「きっと、そうか」と呟くと「では、おれが引き剥ぎをしようと恨むなよ。そうしなければおれも餓死をしてしまうのだ」と、老婆の着物を剥ぎ取って行った。それは、まさに盗人の行動だった。

 

下人は元々門の下で思っていた盗人にならなければいけないのではないかと言う考えを、老婆と言う悪の存在に行き当たり改めたが、彼女の悪への言い訳に結果的に悪事を働く結果になってしまったわけだ。この悪へ対する考え方の劇的な変化が印象に残った。

 

もしかしたら、下人は門の下で盗人になる可能性を考えた時点で、または門の上に登った時点で盗人になることを考えていたのではないだろうか。さらに、門の上に棄てられているだろう死人の着物などを剥ぎ取ろうとすら思っていたのかもしれない。それこそ、彼の憎んだ老婆のように。

門の上で死人の髪の毛を剥ぎ取っていた老婆に対して、下人は激しい憎悪を感じたわけだが、それは自分がいざなろうとしていた悪を目の当たりにしてしまったからでないだろうか。だから、自己嫌悪のように老婆に詰め寄ったのではないだろうか。しかし、老婆の言い訳が、自己の悪への肯定をしてもらったかのように感じた下人は、ぎりぎりのところで揺れる気持ちが吹っ切れて、盗人へと切り替わったのだろう。

と、私はこんな風に思った。まさに下人が逃げていった暗闇は下人のこれからの人生を暗喩しているようだとも思い、悪へ転ずる時の人の心理はこういうものなのかもしれないと、ふと感じ怖くなった。

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「羅生門」あらすじ・感想文まとめ

『羅生門』では、悪人へと気持ちが変わる瞬間が明確に描かれており、人間の気持ちはきっかけしだいで、こんなにも移ろいやすいものなんだと、感じるのではないでしょうか。

読書感想文を書く際には、やはりこの”生きるための悪”について感じたことを中心に書いていくのが、いちばん書きやすいと思います。

切り口のポイントとしては、

 

  • 老婆の言葉で下人の気持ちが悪へと切り替わる場面で感じたこと
  • 生きるか死ぬかの場面で、自分ならどんな選択をするか
  • 人間の現実(常に善でいるべきという理想の難しさ)

 

などが書きやすいと思います。ぜひ、あなたが感じたことを取り入れて、すてきな読書感想文を書いてみてください✑

芥川の他のおすすめ作品についてはこちらでまとめています。よければご覧になってみてくださいね📖

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