この小説のストーリーを一文で要約すると、
”秀才の男が詩作に執心するあまり、多くのものを失い人生を後悔し、ついには虎になってしまう”
そんな壮絶な小説です。高校の教科書などにも掲載されていることがある有名な作品ですね。
主人公の苦悩する様子がとてもつらく、気持ちを揺さぶられます。読書感想文の題材としてもおすすめな一冊です📖
本記事では、
- あらすじ
- 読書感想文
- 主人公 李徴が虎になった理由
についてまとめています。ぜひご覧になってみてください。
あらすじ
李徴は才能あふれる若者で、科挙の試験に受かり、江南地方の役人の命を授かった。しかし、プライドの高かった李朝はこれをよしとせず、すぐに仕事を辞めてしまう。
故郷に帰ると、人との交流を絶ち、ひたすら詩作にふけった。この頃から李朝の姿はみるみる痩せ厳しいものとなり、かつて試験に合格したふっくらとした美少年の面影はどこにもなかった。
数年後、貧困に耐えかね、妻子を養うためとうとう諦め、再び地方役人の職を頂くこととなった。これは自分の詩の才覚に半ば絶望したためでもあった。かつての同級の友はすでに重役となり、自分が馬鹿にしていた連中から命令を受けなければならないことが、彼の自尊心を傷つけた。何をしても楽しい気持ちになれず、強靭じみた性格はいよいよ抑えるのが難しくなった。
一年後、仕事で旅に出て汝水という川のほとりに宿泊した時、遂に発狂した。夜中に急に顔色を変えて寝床から起き上がると、何か訳の分らぬことを叫びつつそのまま下にとび下りて、闇の中へ駆け出した。 彼は二度と戻って来なかった。
その翌年、監察御史の袁傪(えんさん)が旅をしているときのことであった。月明かりの中林の草地を通っていると、一匹の猛虎に襲われた。あわや虎がおどりかかるかと思いきや、たちまち身を翻して元の草むらに隠れてしまった。すると草むらの中から人間の声で「あぶないところだった」と繰り返しつぶやくのが聞こえた。聞き覚えのある、友の李徴の声であった。 しばらくして、すすり泣きが聞こえ、「いかにも自分は李徴である」とのたまった。袁傪は恐怖を忘れ、馬から降りて草むらに近づくと、李徴の声はこう言った。 「一年前のこと、夜ふと目を覚ますと外から誰かが呼んでいる。無我夢中で走ると、いつの間にか虎になっていたのだ。徐々に自分の中から、人間の心がなくなっていくのがわかる。人間でなくなる前に、詩を書き取ってほしいのだ」 袁傪は李徴が歌った詩を紙に書き記した。
李徴の声は最後に、こう言った。 「こうなってしまったのは、人から遠ざかり己の自尊心と、尊大な羞恥心を太らせてしまったからかもしれない。虎になってしまった以上、詩も作れない。ちょうど人間だった頃、自分の傷つきやすい内心を誰も理解してくれなかったように。自分の毛皮の濡れたのは、夜露のためばかりではない」 李徴は虎に戻る時が来た、と友に別れを告げた。袁傪が丘の上に近づいた頃、先程いた林のほうで、虎が咆哮し、また草むらに入っていくのが見えた。 |
読書感想文
プライドや意地に固執していると、苦しくなることがある。
自分が得意としていることだったり、これを外すと自分という個性が保てなくなってしまう、と「こだわり」を持っているものなんかが、プライドや意地になっていく。
李徴は秀才だった。だから試験などは簡単にクリアしてしまうし、仕事も頂けた折、自分が愛する詩の仕事がしたいということで結局辞めてしまう。しかし、それもまた食べていくこと、妻子を養うのが難しくなることから、転職する羽目になってしまった。
現代の日本では、女性もバリバリと働く社会となった。とはいえ、男性が家計を担っているという家庭はまだまだ多いのが現実だ。李徴の抱える家庭は、李徴が大黒柱であるようだ。そうなると、好きな仕事とはいえ、家計を支えられないようでは、続けるのが難しいであろうと思う。自分、家族、それぞれの命がどう繋がっていくかは、自分の命の使い方で変わってくるのである。よく芸人や芸能人は下積みの時期があり、給料がほとんど出ないので、奥さんや彼女のヒモとして暮らしているなんて人もいるらしいが、芸事の世界というのは本当に時間と根気のいる仕事なんだろうなと思う。
わたしも昔から、絵を書いたりすることが好きなのだが、それ一本で食べていくかと問われると、それは難しいだろうな、と思ってしまう。絵を書くための道具を揃え、時間を使い、絵が売れるように売り込みをし、それまでの収入を他の仕事で賄う、家事もする、と考えると、目がくらむ。学生の間に収入にかこつけるとか、他の芸術関係の仕事をしながら、絵を書いていくという感じだろうか。
李徴は頭が良い、様々な才能にあふれている。だけど才能が「買われるか否か」というのは、天にお任せ、時間と努力と、運次第なのかもしれない。プライドもあるので、その時代の流行に乗るか逆行するか、自分を貫き通すか、という問題もある。
色んな会社がさまざまな製品を売り出している世の中で、「はやり」は確実に存在している。その波の中で、どんな商品を売り出すのか?これはとても重要なことだと思う。
ハリー・ポッターが流行していた時代は、映画や漫画の業界はファンタジーが結構流行っていたように感じる。宮崎駿監督の『千と千尋の神隠し』や、『ハウルの動く城』などなど。だけどここ最近は、割と現実世界を舞台にしたお話、つまりリアリティがあるお話のほうが、親しみやすいように思う。
「異世界転生」という言葉が流行っているが、これは実際に存在している日本とかこの世界の人間が、事故にあったり亡くなったりして、他の世界に行ってしまうというファンタジーだ。昔のファンタジーよりも、リアリティがあるようで、より一層現実逃避している感じが否めない。みんな、現実を生きるのに、少し疲れているのかもしれない。アプリなんかも、ほったらかしておいたら勝手に主人公が成長するものが流行っていたりする。力を抜いて、報酬を得たい。そんな感じだ。
李徴は決して楽をしたかったわけではないのだろうけど、自分の好きなことと向き合う時間を得ることができない世の中の厳しさに、しょんぼりしていたのだろう。虎になってから、そんなことを自分でも言っている。異世界転生してしまう人物たちも、大体似ている。現実に疲れてしまっている矢先に、別の世界に行ってしまい、楽しい暮らしの中で前いた世界の厳しさから開放される。
虎になった李徴は、「いっそ虎になりきってしまったほうが、よいのかもしれない」ということを言っている。まさに現実逃避。人間の暮らしから逃げ続けた結果がこれだという自覚があるのだ。
現代社会は、コンピューターや見た目の良さ、速さ、金額などの「目に見える価値観」に重きを置かれている気がする。だから、みんな楽をできているような感覚でいても、どこかでとても苦しい気持ちになっているのかもしれない。
その一方で、身体に良い製品や時間をかけて作られたものなどが注目を浴びたり、そこに時間とお金をかけている人もいたりする。無農薬、化学調味料無添加、プラスチックではない木や自然の材料で作られた製品。百円均一でももちろん良い製品は売られているのだが、どうしても作った人の「思い」は、一点ものだったり、自然派のもののほうが強いのだろうかなと思う。
大人からは「若いね!」なんて言われるけど、そのたびに「そんなことありません」と言いたくなる。人生は、有限です!何が起こるか、わからないのだ。いつ虎になるかも、もちろんわからない。わたしは人として、どんな暮らしをしていこうか。限りある人生を、楽しく生きていけるよう、心も身体も軽くしていきたい。
【解説】李陵が虎になった理由とは?
「山月記」では、李徴が発狂して虎になってしまいますが、「なぜいきなり虎になるの?」と感じたりしませんでしたでしょうか?
”フィクションだしそういうもの”と割り切ってしまうこともできますが、なぜなのか理由について追及することも可能です。
まずは、結論から。
李徴を虎へと変身させたのは、、、
尊大な羞恥心
です。
「え、どういうこと?」となってしまいますよね。ただ、本文に明記してあるので、その部分を見てみましょう。
己は次第に世と離れ、人と遠ざかり、憤悶と慙恚とによって益々己の内なる臆病な自尊心を飼いふとらせる結果になった。人間は誰でも猛獣使であり、その猛獣に当るのが、各人の性情だという。己の場合、この尊大な羞恥心が猛獣だった。虎だったのだ。これが己を損い、妻子を苦しめ、友人を傷つけ、果ては、己の外形をかくの如く、内心にふさわしいものに変えて了ったのだ。
というわけで、尊大な羞恥心が虎であると書かれています。そして、それが自分の外形を内心にふさわしいものに変えてしまったということも。
とはいえ、尊大な羞恥心のせいと、この言葉の意味がわかりにくいですよね。「どういう心理なの?」と私も初めはピンとこなかったのです。
ここで理解を深めるために、よく国語の授業でも取り上げられる言葉とあわせて整理したいと思います。それはこの2つです。
- 臆病な自尊心
- 尊大な羞恥心
引用した文章に、この2つの似ている言葉がありますよね。この2つの意味を比較しながら、頭に入れるとすっきりと見えてきます。
- 臆病な自尊心:自尊心が強すぎるため、その自尊心を傷つけられるのが怖い
- 尊大な羞恥心:羞恥心が強すぎるため、わざと自分を大きく見せようとする
このような意味になります。
要するに、
- 自分は詩の才能がある人物だ
- もしかしたら自分はたいした人物ではないのでは?
この間で、感情が揺れていて苦悩していたのではないでしょうか。自分を守ろうとするあまり、外界へ間違った行動を取り続けてしまい、自らを苦しめやがて虎へと変身してしまったのです。
小説の後半の李徴の今までの人生を振り返る独白は、壮絶なものがあります。とくに、この部分はとてもわかりやすい表現で描かれており、彼の心情が伝わってきます。
人生は何事をも為なさぬには余りに長いが、何事かを為すには余りに短いなどと口先ばかりの警句を弄ろうしながら、事実は、才能の不足を暴露するかも知れないとの卑怯な危惧と、刻苦を厭う怠惰とが己の凡てだったのだ。
まとめ
中島敦「山月記」のあらすじ・読書感想文についてみてきました。短い小説ではありますが、とても内容が濃く、生き方について考えさせられる一冊ではないでしょうか。
読書感想文を書く際には、
- 李徴の生き方について感じたこと
- 李徴とあなたの”夢”を実現する方法のちがい
- 自尊心・羞恥心
について深めていくと、あなたらしさがあふれる感想文が書きやすいと思います。ぜひ素敵な感想文を書いてみてください(^^)/
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