森鴎外「高瀬舟」あらすじ・読書感想文

感想文
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森鴎外の短編小説「高瀬舟」は、罪人を島へと送る高瀬舟を舞台に、弟を殺した喜助と護送役の同心である羽田庄兵衛との会話で進んでいく物語です。

シンプルな構成で読みやすい作品ですが、”安楽死””財産と欲望”が主題とも言われており、これらについて考えさせられる内容となっています。

 

重いテーマではありますが、だからこそ自分の意見や考えについて書きやすく、読書感想文の題材としておすすめの一冊です。

 

本記事では「高瀬舟」の、

  • あらすじ
  • 読書感想文(例文 2作品)

についてご紹介しています。感想文を書く際の参考になれば幸いです☆

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「高瀬舟」あらすじ

都の高瀬川を移動する高瀬舟という小舟があった。その小舟は罪人が島流しされる際に使われるものだった。小舟は京都の同心が護送をしていた。護送の際は罪人の親類一人を同船させることを大目に見る習わしがあった。

 

そんな高瀬舟に今までにない珍しい罪人が乗せられた日があった。罪人の名前は喜助と言った。彼には同船する親類もいなく、小舟にもただ一人で乗ったのだった。そんな喜助と一緒に舟に乗り込んだ同心は庄兵衛と言い、庄兵衛は喜助が弟殺しの罪人だと言うことだけ聞いていた。

舟に乗り護送される喜助は大人しく、礼儀正しく、これまでの罪人とは全く様子が違った。どこか楽し気で晴れやかささえ感じるような喜助の様子を、不思議だと感じた庄兵衛は堪えきれなくなり、喜助へ声をかけた。

 

庄兵衛が晴れやかさの理由を尋ねると、喜助は自身が今まで稼いできたお金はすべて借りていた金の工面に使っていたことを語る。そして島流しを受けた罪人に渡される二百銅を示し、ただただ自分のためだけのお金をもらったのは初めてだと語った。

 

庄兵衛は自身の生活を重ね、この喜助と言う男に尊敬の念を抱いた。庄兵衛は喜助へ更に弟殺しの理由を尋ねる。喜助は小声で話しだした。

 

それまで小さいときから弟と二人きりの家族として生きてきた喜助だが、弟は病気で働けなくなってしまう。ある日、喜助が弟との家に帰ってくると、弟は自殺を試みていた。けれど、切り所が悪くまだ死ねていなかった弟は、喜助に自分を殺してほしいと頼む。その申し出にためらい、医者を呼ぼうする喜助だったが、弟の懇願によりその自殺を手助けしてしまう。その場面を近所のばあさんに見られてしまい、今に至ると言う話だった。

 

それを聞いた上で庄兵衛はお奉行様の判断に従うしかない、と思いながらも静かに喜助を乗せた高瀬舟は水面を滑って行くのだった。

「高瀬舟」読書感想文

感想文の例文を2つ載せています。それぞれ切り口がちがうので、そのあたりを気にしながら読んでみると、感想文を書くときにスラスラと進みやすいかと思います。

 

また、2つの感想文に共通している点もあります。それは、”喜助がしたことは人殺しなのか?”という点を考察しているということです。もちろん、事実だけを考えると殺人に違いはないのでしょうが、喜助の感情や背景を考えると、どうにも割り切れないものが残りますよね。しかも、喜助の年齢は30代と若いですし。晴れやかな様子で舟に乗っていることが、また印象的です。

あなたは、どんな風に感じるでしょうか?

読書感想文①

私はこの作品を読み、まず真っ先に喜助のこの弟殺しは果たして人殺しと同じなのだろうか、と庄兵衛と同じような疑問を持った。

 

今まで、京都で立った一人の弟と共に、人から借りたお金を返すために必死に働きお金を稼ぎ、それを自分の手元に二百銅も残らないほど生活を切り詰めながら生きていくことはとんでも無く大変だったのではないだろうかと感じた。そんな生活を送りながらも、弟と生きていこうとしていた兄喜助だったが、弟は自分の病気がちな身体のことと兄のことを思い自殺を試みようとするが死にきれず、それを喜助が手助けしてしまったことは果たして人殺しなのだろうか。

 

それは作中の庄兵衛も、またきっと島流しを決めたお奉行様も同じように抱いた疑問、感情だったのだろう。だからこそ、通常は心得違いのために、思わぬ罪を犯してしまった救いのある罪人を送り込む島流しに、喜助を処したのだと思った。けれど、それにしてもこれはどうも救いきれないつらい話だ。

 

けれど、最初の舟に乗り込んだ喜助の描写からも感じ取るに、きっと喜助はその晴れ晴れとした様子の通り、本当に全てのしがらみから解き放たれたのだと思う。それは最初に庄兵衛と喜助が交わした会話に全てが詰まっていると思う。

これまでの人生で島流しの人間に必ず手渡される二百銅という金額さえも手にしたことのないという喜助。そんな彼がそのお金をも元にこれからは流された先の島で、身体を使って仕事をしていきたいと張り切っている。それまでは、きっと弟の病状や人から借りていたお金を返済しなければいけないと言う思いが喜助の中で延々と回っていたのだろう。これまでのしがらみから離れ、これからは一人の人生として新しくスタートを切れる。そんな喜助の様子がきっと序盤の様子なのだろうと感じた。

 

喜助の身の上を聞いていた庄兵衛は当初、彼の金銭事情に自身の家内とのお金のやりくりの摩擦を頭に浮かべ、額面こそは違うが結局そういう面では喜助と自分は似ているかもしれない、と思っていた。お金を家内に流していて、自分の者にならないのは庄兵衛も一緒だからだ。

しかし、同時に庄兵衛は人の欲はつきることがない様子があるというのも思っている。もし人に病があれば、その病がなければと思うだろうし。その日その日の食べ物がないと、毎日食べれいければと思う。万一の時の蓄えがないと、少しだけでも蓄えがあればと思う。蓄えがあっても、もっと多ければと思う。人の欲は止まらないと言うことを庄兵衛は知っていた。けれどそう思った後に、喜助の欲が無い様子を感じ、また彼は欲を足りると言うことを知っていた。喜助の様子に自分と近い背景を感じながらも、慎ましい喜助の様子に庄兵衛は感服するのだった。

 

そして最後に。一番最後の喜助と庄兵衛が高瀬舟に乗り、現状をどう変えることもできず、ただお奉行様の処罰通り、喜助を島に護送する、島流しの川の道中。私はこの喜助と庄兵衛を乗せた高瀬舟の描写は、全てを話し終え島に向かっていく喜助の心情と同じなのではないかと感じた。

ふけていくおぼろ夜に、波も立たないただ黒く夜空の映る川の水面は、全てを話し終え、たった二百銅だが自分のためだけのお金を懐にしまって島での新しい生活を迎えることを、川に流されながら思う喜助の心の内のようだと感じる。それはきっと、後悔も懺悔も悲しみも憤りも悔しさも、激しく波打つ感情が全て過ぎ、ただただ波も立たない静かな心の内を高瀬舟という舟にのりわたっていく喜助の心情なのでないだろうかと感じた。そうであればいいなと、そうであればそれが救いだと、考えた。

読書感想文②

犯罪には、詐欺、強盗、殺人など様々なものがある。この作品では、兄が弟を殺してしまい処罰を言い渡され、遠島となった男について書かれている。罪を犯すことは許されない事である。それは、江戸時代でも現在でも変わりはない事である。ただ、冒頭に書かれていた「島まで親族が付き添う事が黙認されている」ことについて、現代であれば、裁判が終わると刑務所に入ることになり、その時に親族が付き添う事はもちろん許されない事であるが、この当時はある意味のんびりとした時代であり、罪を犯した者たちに対しても慈悲の思いがあるのだなと思った。時代劇を見ていても、奉行の采配一つで重罪になったり、無罪になったりするシーンがあり、随分人の気持ちで左右されていた部分があった時代なのかもしれない。

 

犯罪についても、現代とこの時代とでは種類や内容が違っているのかと思いがちであるが、この作品を読んでそうではないと思った。最近でも似たような事件が起こり、報道されることがあるからだ。それは、高齢化が進む現代ならではの「老老介護」が引き起こす事件である。

例えば、介護しているおじいさんが一緒に暮らしているおばあさんに対して、「苦しそうだったから」とか、「本人に苦しいので殺して欲しいと言われたから」などの理由で、殺害してしまうという悲しいニュースである。そして、おじいさんはおばあさんを殺し、捕らえられ裁かれてしまうのである。

 

まさにこの作品のテーマと似通っているように思えてならない。作品では、兄が弟を殺してしまったのであるが、詳しい経緯を聞くと、兄である嘉助が自分のためだけに弟を殺したのではなく、弟を思う気持ちがあるからこそ起こしてしまった事件であった。

それまで嘉助とその弟は、生きるために一生懸命に働いていた。時には、食べることも出来ずに苦労をした。そして、病気になってしまった弟は、「自分は働くことも出来ずに兄に迷惑をかけている」と思い悩み、「自分がいるために兄がさらに苦労をする」ことを気に病み、遂に自殺を試みてしまう。兄は当然助けたかったはずであるが、苦しそうな姿の弟を見て悩み苦悩する様が書かれているが、最後には不憫に思い自らが手を下してしまった。

 

「老老介護」が原因で起こった事件も、おじいさんがおばあさんを思う気持ち、おばあさんがおじいさんを思う気持ちが、殺人という犯罪へと発展してしまったのである。この二つの事件には共通点があると思う。それは、お互いに相手を思いやる気持ちが強い事である。「自分がいるから迷惑をかけている。」「自分がいなければ楽になるのではないか。」という自分本位の考えではなく、相手の事を一番に思い、悩み、考えることが、悲しい結末へとつながってしまったのである。

 

また、嘉助は自身が起こした犯罪の処罰を受けて島へ行くことになったのだが、そのことを喜んでいるように表現されている。それまでの人生では「自分たち兄弟には居場所がなかった」と書かれている。島へ行くことを命じられ、それが「自分の居場所となる」ことで安堵を覚えたのだという記述は心に刺さる。もともと真面目な人であるので、島でも一生懸命に働く気持ちからそのように思ったのである。

この事についても現代との共通点が見える。現代でも「自分には居場所がない」と考えている人がおり、そんな人の弱さが犯罪へとつながり、刑務所へ入る。そして、一度刑務所に入った者は再犯の可能性が高いという。それは、「自分の居場所」が刑務所であると思っているのではないだろうか。刑務所に入れと命じられ、そこが「自分の居場所」になり安堵しているのだと思う。

 

役人である庄兵衛が最後に「腑に落ちない気持ちが残った」と言っているが、殺人は犯罪であるので、どんなことがあってもしてはいけない事であることはわかっているが、これらの問題は誰にも相談できずに解決することが困難であったことが想像できる。「何か他に手立てはなかったのか」という思いが庄兵衛の「腑に落ちない気持ち」だったのだと思う。この作品が書かれた大正時代と、医療が発達し、様々な法律が整備されているはずの平成の世でも、解決できない問題であるのだと痛感する。すべての人が人らしく生きていく事は難しい事なのか、すべての人が人生を終える瞬間まで笑顔で生きていける時代は来るのだろうかと思わずにはいられない。

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「高瀬舟」あらすじ・感想文まとめ

森鴎外「高瀬舟」、短いながらも読んだ後に胸に残る作品です。

人殺しにもいろいろな場合があり、嘉助の場合はなんともやり切れない状況だと感じます。読書感想文の例文でもふれていますが、現代では例えば老老介護で同じようなことが起こっていますよね。

 

「高瀬舟」で描かれている内容は、決して昔のことではありません。時代を越えた普遍的なテーマを扱っているからこそ、今読んでも色あせない作品なのでしょうね。いろいろ考えさせられる小説なので、感じることも多いはず。感想文を書くには、おすすめの一冊です。

ぜひ、あなたらしい素敵な感想文を書いてくださいね(^^)/

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