黒澤明監督の現代劇の中でも特に有名な作品「生きる」を映画館で見てきました。午前10時の映画祭のおかげで、劇場で見ることができました!初めて見ましたが、本当に心揺さぶられるものがありました。1952年公開の作品なのですが、普遍的なテーマが描かれていてまったく古い印象を抱きませんでした。強く印象に残りましたので、この映画のあらすじ・感想を書いてみました。
「生きる」主な登場人物/キャスト
この作品の主な登場人物を下記にまとめました。主演の志村喬さんはじめ、魅力的な演技の俳優・女優さんが多く出演されています。
渡邊勘治:志村喬
小田切とよ:小田切みき
渡邊光男:金子信雄
小説家:伊藤雄之助
木村(渾名「糸こんにゃく」):日守新一
坂井(渾名「こいのぼり」):田中春男
野口(渾名「ハエ取り紙」):千秋実
小原(渾名「どぶ板」):左卜全
齋藤(渾名「定食」):山田巳之助
大野(渾名「ナマコ」):藤原釜足
市役所助役:中村伸郎
上記の渾名は、作中で小田切とよが同僚らにつけていたあだ名です。また、ここでは触れていませんが、公園を作ってほしいと市民課に頼み込む主婦たちの一人に、菅井きんさんなども出演されています。
「生きる」あらすじ~通常版・ネタバレ詳細版~
あらすじは、内容を短くまとめた通常版、ストーリーの詳細に触れたネタバレ版の2種類を載せています。映画を未だご覧になられていない方は、ネタバレ詳細についてはご注意ください。
あらすじ~通常版~
役所の市民課に30年勤め続ける渡辺課長は、毎日変わりのない日常を過ごし、黙々と仕事をするばかり。そんな時、身体の不調を感じ病院に行き、自分が胃がんであることを知る。あまり時間が残されていないことを知った渡辺は、これまでの人生を考えて苦悩する。
初めて欠勤をし、貯金から5万円をおろし夜の街を歩く。知り合った小説家と遊び回るも空しい気持ちが残る。
偶然、街で出会った同僚の女性 小田切とよと何度か食事を一緒にする中で、その若さ・生命力に魅かれていく。渡辺は、とよに胃がんであること・生き方への悩みを告げる。そこで、とよから「何か作ってみたら?」と提案され、渡辺の新たな人生が始まる。
数日ぶりに出勤し、渡辺は人が変わったように仕事に打ちこみだす。以前から、たらいまわしにされていた公園建設に精力的に取りくみ、各方面に粘り強く交渉し、公園を完成を目指す。やがて命をかけた努力が実り公園が完成する。ある雪のふる晩、その公園のブランコに座り揺られながら、渡辺は息を引き取る。
あらすじ~ネタバレ版~
市民課に無欠勤で30年勤める課長の渡邊勘治。仕事への情熱も忘れ、市民課にやってくる町民の陳情などもたらい回しにするなど、ただ機械的に黙々と日々の業務をこなすのみ。食事が進まないなどの体調不良を感じ、病院に行く。そこで、自分が胃がんで命はもう長くないことを悟る。渡辺は初めて、これまでの人生は何だったのか、30年何をしていたのか、と苦悩する。
貯金から5万円をおろし、夜の街をさまよう。飲み屋で偶然知り合った小説家に胃がんであることを告げる。渡辺に強く関心を示した小説家は、夜の街を案内する。パチンコ、ダンスホール、バー、ストリップ劇場などさまざまな場所へと連れていく。楽しもうとするも、これが自分のやるべきことなのかとふと疑問に思う。
30年無欠勤だった仕事を初めて休み、街を歩いていると、偶然同僚の小田切とよと出会う。とよはつまらない役所の仕事を辞めることを考えていて、退職の書類に課長の印鑑が必要であることを話す。渡辺の家に一緒に行き、書類に印鑑をもらう。息子(光男)夫婦は、家の2階の窓から渡辺ととよが楽しそうに歩いている様子を目撃する。
役所に行こうとするとよに渡辺は着いていき、道中でとよにストッキングを買ってあげる。(家に着た際に、破れていることに気づいていた)そのまま、とよとパチンコやスケート場に行ったり、カフェ、鍋など一緒に食事をし、充実した一日を過ごす。食事をしながら、とよは市民課の同僚たちにあだ名(どぶ板、ハエ取り紙、ナマコ、糸こんにゃく、など)をつけていた話をし、渡辺と楽しく盛り上がる。渡辺課長にも「ミイラ」とつけていたことを明かし、渡辺もそれを認めて笑う。
光男は、大金を下ろす・欠勤をするなど父親の不審な行動を、妻の父に相談しに行く。そこで、「女にちがいない」と言われる。
家で、意を決して光男に胃がんであることを打ち明けようとした渡辺だったが、女に入れ込んでいると批判されてしまう。渡辺の考えは息子に伝わることはなかった。
渡辺は、とよにしつこくつきまとうようになる。新しい職場にまで行き誘うもとよに「何で私にばかりつきまとうの?もううんざり!」と言われてしまう。落ち込んだ渡辺を見かねて、今晩だけと付き合ってもらう。
カフェで2人向き合うも、話すことも尽きた二人は黙ったまま。後ろでは別の団体客がにぎやかに誕生日パーティーをしている。とよに「なぜ私ばかり誘うの?」と問い詰められた渡辺は胃がんであることを告げる。そして、30年間息子のためと思って働いてきたが息子は理解してくれないこと/とよの若さ・溢れる生命力に魅かれ、どうすればそんな風に生きれるのか等、を熱弁する。
とよは、「働いて食べてるだけ」と言うものの、最後に「私は今工場でうさぎのおもちゃを作っている。こんなおもちゃでも、日本中の子どもと繋がったような気分になることがあるの。課長さんも、何か作ってみれば?」と提案する。その一言で、自身のすべきことを悟った渡辺、新たな人生が始まる!まるで、祝福をするかのように誕生日会のハッピーバースデーの歌が響く。
久々に出勤した渡辺は、熱心に仕事に打ち込みだす。以前からたらい回しになっていた、黒江町の暗渠(あんきょ)埋め立ての陳情書を出し、この問題に取り組もうと動き出す。総務課、土木課など関係部署への粘り強い説得を続ける中で、埋め立てをし公園を完成させる。
雪の降る寒い晩、公園のブランコで揺られながら、渡辺は息を引き取る。渡辺の新たな人生が始まったおよそ5か月後のことだった。
葬儀が行われ、助役や市民課の同僚らが出席している。そこに、記者が助役を訪ねてやってきて、「黒江町の公園建設をしたのは、実質的に渡辺課長だったのではないか?」と質問する。助役は「市民課長の職権内の仕事をしたまでで、渡辺さんが公園をつくったというのは言い過ぎである」と答える。助役や同僚らも、「一般の人は役所の仕組みを知らなすぎる」などと言い、暗に自分たちの功績をアピールする。
そこに、課長の働く様子を近くで見ていた黒江町民たちがやってきて、大泣きしながら焼香をする。町民らが帰った後、気まずい雰囲気が流れる。
助役ら上層部は帰宅し、残った市民課の同僚・親族が、「なぜ急に渡辺さんは人が変わったように仕事に打ち込んだのか?」について、それぞれが目にした渡辺課長の様子を話していく。大雨の中ずぶ濡れになることも構わず黒江町の現地視察をする様子、土木課や総務課など関係部署へ何度も足を運び交渉する様子、助役へ何度も頼みこむ様子、など鬼気迫る仕事ぶりが明かされる。
「やはり、自分が胃がんと知っていたのでは?」と言う話になり、それを裏付けるエピソードが語られる。部下の同僚が「2週間も通って断られるなんて…」と愚痴をこぼすと「私には、人を恨んでいる暇がない」と言ったこと、歩道橋から夕陽を見て「美しい…私は30年間夕日なんて・・・そんな暇はない」と足早に歩きだしたこと、など。
そこに、警官が公園に落ちていた渡辺の帽子を届けにやってくる。
そして、昨晩公園でブランコに座る渡辺課長を見たことを話し出す。ブランコに揺られながら、「命短し」を楽しそうに歌っている様子が語られる。皆、心打たれて明日から熱意をもって仕事を頑張ろうと誓う。
役所では、今まで通り形式主義のお役所仕事。葬儀での誓いなどなかったかのように、町民をたらい回し、当たり障りのない日常が続いていく。
渡辺のつくった公園では、子ども達が楽しそうに遊ぶ声が響いている。歩道橋から、公園を見下ろす帽子をかぶった紳士の姿があった。その後ろ姿は、まるで渡辺課長のようだった。
「生きる」の感想
この映画を見て、思ったことは本当に「生きる」ことができているのか?ということでした。主人公である渡辺課長は、仕事への情熱もいっさいなくただ黙々と日々をこなしています。同僚のとよにミイラとあだ名をつけられていますが、まさに半分死んだような人生です。ただ、ここまで極端でなくても、同じような日々を過ごしているのではないでしょうか。(もちろん、私もです・・・)
本当に、死を意識・覚悟した人は、きっと積極的に生きるのでしょう。「人を恨んでる暇はない」という台詞はとても印象に残りました。この映画には多くの名言がありますが、これは特に印象的でした。時間がないと、本当に優先順位が高いものからすべきなわけで、たしかに不平不満や愚痴・悪口を言うのは時間の無駄に違いがありません。それで、問題が解決へと向かうことはまずないですし。
残された時間で自分のやるべきことは何なのか?と模索する渡辺課長の苦悩は、何とも言えないものがありました。夜の街の活気、同僚とよの若さ・エネルギー、と死が近い渡辺課長との対比が印象的です。明るく楽しもうとするけれど何かちがう・・・といった表情は、ぐっとくるものがありました。また、息子ともうまく分かりあえないのも切ないところです。
この映画でストーリーが一気に動きだすのは、とよに胃がんであることを打ち明けるカフェのシーンです。「何をすればいいか、どう生きればいいかわからない」と悩む渡辺の胸に、「課長さんも、何かを作ってみれば?」というとよの発言が刺さります。ここで、渡辺は自分のすべきことを明確に悟ります。近くの席で誕生日パーティーをしている女学生の歌うハッピーバースデーの歌が、新たな人生を祝うように響いているのが印象的でした。
ただ何となく日常を「生きている」のではなく、積極的に「生きる」ほうがきっと楽しいに違いがないと感じました。ついつい、言い訳をして何かをするのをやめたり、延期したりすることがありますが、渡辺課長のような立場になったらそんなことは有り得ません。もっと、時間への意識を高めなければと思わされます。
重いテーマを描いた作品ですが、暗くなりすぎず、ほどよく明るく描かれているのが素敵なところです。小説家やとよの明るさ、そして何と言っても、主役の志村喬さんの何とも言えない笑顔・表情が味わい深く素敵です。総務課?だったか、公園建設の交渉で妙な粘り方をする様子もなんだか面白かったです。
また、映画の最後の市役所のシーンは皮肉がきいていました。葬儀では、「渡辺さんのように熱意をもって仕事をしよう!」と団結したかのように見えましたが、結局は今まで通り形式主義の淡々と時間を潰すような毎日・・・。自分の死が迫らない限り、容易には生き方を変えれないことを示します。
私は30代ですが、この映画は普段あまり意識することのない生きる意味・自分の死・残された時間について考えざるを得ないので、見る年代によっても印象は変わるのだろうなと想像します。幸も不幸も捉え方しだい、辛い・嫌だ・疲れたなどと言う前に全力で進もう!と思わせられる、そんな物語でした。午前10時の映画祭のおかげで、映画館で見れたのは本当によかったです。ちなみに、映画館を出る際、帰り際のお客さんの顔が印象的でした。みな一様に無言で神妙な表情をしていました(映画の渡辺課長のようでした)
本当にすごい作品を見ると、言葉も出ないものですが、「生きる」はまさにそんな映画でした。普遍的なテーマで、いっさい古さを感じさせない名作なので、気になる方はぜひご覧になってみてください。
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