宮沢賢治の童話作品『銀河鉄道の夜』は、孤独な少年ジョバンニがカムパネルラと一緒に銀河鉄道に乗って旅をする不思議な物語です。
生と死、幸せについて深く考えさせられる内容で、人によってはいろいろな解釈がされているやや難しめの作品になるかと思います。
でもだからこそ、読書感想文を書くには想像が広がりやすくあなたらしさを出しやすい題材とも言えます。
本記事では
- あらすじ(結末まで詳しくネタバレ)
- 読書感想文
- 解説「ほんとうの幸いとは?」
の順にまとめています。
あなたが感想文を書く際のヒントになれば嬉しいです(*^^*)
あらすじ
ジョバンニはその日、学校の授業で天の川のことを教わった。当てられたが自信がなく答えられなかったジョバンニは、自分を気遣って同じく回答できなかったカムパネルラに申し訳ない気持ちになった。
学校のあとの仕事を終えて家に帰ると、ジョバンニは牛乳をもらいに街へ向かった。その日はケンタウル祭で、夜の街はきれいに飾られていた。 すると、偶然遭遇した同級生のザネリたちに「らっこ上着が来るよ」と父の仕事のことをからかわれた。漁へ出ず、犯罪に手をつけているかもしれないという噂が流れていたのだ。 ジョバンニは真っ赤になって何も言えず、仲のよいカムパネルラは気の毒そうにジョバンニの横を通り過ぎていった。
ジョバンニは走って丘へと向かった。 するとどこかで、「銀河ステーション、銀河ステーション」と言う声がした。気がつくとジョバンニは列車に乗っており、前の席にはカムパネルラがいた。 「みんなはね随分走ったけれども遅れてしまったよ」 「どこかで待っていようか」 ジョバンニそう返すと、 「ザネリはもう帰ったよ。お父さんが迎いにきたんだ」 そう言うとカムパネルラは少し顔色が青ざめ、どこか苦しそうにした。ジョバンニもおかしな気持ちがして、黙ってしまう。 南十字に着くのは次の三時。 もうじき鷲の停車場となった頃、外のすすきの原に三人の兄弟が現れた。乗っていた船が今日か昨日、氷山にぶつかって沈み、気づいたら三人でここにいたという。
南十字にたどり着くと、三人の子たちは電車を降りた。二人は三人を見送ると、目に涙を浮かべて語り合った。
カムパネルラが天の川のひととこを指さすと、そこには大きな真っ暗なあながあいていた 「僕もうあんな大きな闇の中だって怖くない。きっとみんなの本当の幸いを探しに行く。どこまでもどこまでも僕たち一緒に進んで行こう」 ジョバンニが言うと、カムパネルラは言った。 「ああきっと行くよ。ああ、あすこの野原はなんてきれいだろう。みんな集ってるねえ。あすこが本当の天上なんだ。あっあすこにいるのはぼくのお母さんだよ」 しかしジョバンニには白いけむにしか見えない。 振り向いてみると、カムパネルラはいなくなっていた。ジョバンニは鉄砲玉のように立ち上がり、喉いっぱい泣き出すと、あたりが真っ暗になった。
ジョバンニは目を開いた。もとの丘の草の中に疲れて寝ていたのだ。起きてお母さんの牛乳を受け取り帰ろうとすると、橋の上に人が集まっていた。 ジョバンニは何故か胸が冷たくなり、「何かあったんですか」と聞いた。川に落ちたザネリを助けたカムパネルラが、行方不明だという。近くにいたカムパネルラの父に、彼との旅のことを話そうとしたが、言葉にならない。すると、カムパネルラの父はジョバンニの父がもうすぐ帰るころだと教えてくれた。 ジョバンニはもう色々なことで胸がいっぱいになり、早くお母さんにお父さんの帰ることを知らせようと走ったのだった。
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読書感想文
人は死んだら、どこに行くのだろうか。
この物語は、おもにジョバンニがカ厶パネルラと、謎の列車に乗って天の川の方へ旅をする物語である。
『鉄道に乗ってきらびやかな世界を旅して終わる』そんな明るいファンタジーだと思いこんでいたのだが、実際に読んでみると、宮沢賢治の「人の死」に対する思いや感情がぎゅっと凝縮された、非常に重みもあり輝きもある作品だった。そのため、明るい描写の反対側に、命の尊さや死の悲しさを感じさせる暗い表現も、肌に感じるほど繊細に映し出されている。
前半では、主人公ジョバンニと、カムパネルラを取り囲む環境や人間関係が描かれているが、ジョバンニの立ち位置は少し影を落としている。彼の父は漁師のようだが、「らっこの上着を持って帰る」という話がいじめの原因になっている。らっこは密猟すると、罪に問われる。さらに、その父が仕事から帰らないので、ジョバンニは朝も夜も働き通し、ぼんやりしてしまうし、なんだか自分に自身が持てなくなってしまっている。やはりいつの時代も、生活リズムや環境は心の動きに大きく影響するようだ。
わたしも夜中遅くまで勉強したり、読書したりしていると、気がぼんやりして、知っていることでも自信が持てなかったり、実力を発揮できなかったりする。
そんなジョバンニが、ケンタウル祭の夜にまた、ザネリにからかわれて走るのだが、ザネリ一行の中にカムパネルラがいる。気の毒そうにジョバンニに視線を送り、怒られるかな、とか、色んな感情がない混ぜになった様子でいる。この複雑な気遣いと心境が、生々しく、心に響いた。宮沢賢治という人は、人の心の奥や、その節々にある優しさ、葛藤を描くのが、非常に上手なのだと感じた。
二人は幻想の世界で列車に乗りながら、様々な出会いと別れを経験する。夢の世界で延々と発掘をする人、鳥を捕る人、燈台守。
そして後半にさしかかると、三人の兄弟が出てくる。兄と、妹、そして弟だ。この三人は、なんと海に落ちて亡くなったのだと言う。船が沈むところの描写は、あのタイタニック号沈没を思い浮かばせる。
南十字まで行くと、この三人とジョバンニ、カムパネルラはお別れとなる。だけど、そこで三人の行く末をはっきりと知ることができないまま、二人は見送りをすることとなった。あの世に行くのだ、という表現はあるものの、明記されていないあたり、「死んでしまうとその人とお別れするだけれども、そのあとどうなっているのかは、分からないよね、決めつけられないよね」という宮沢賢治の思惑が見え隠れする。
最後、カムパネルラがお母さんの姿を示すと、それを見ることが叶わなかったジョバンニの視界から、カムパネルラが消えてしまう。ジョバンニは起き、夢を見ていたと思った。だがしかし、現実にも事件は起きていた。カムパネルラが、川に落っこちて、行方不明になっていたのだ。序盤でカムパネルラが言っていた、「ザネリはお父さんが迎いに来て帰った」のは、溺れたザネリをカムパネルラが助けた後の話だ。彼は川か、それとも別のところから、ザネリの帰るのを見ていたのかもしれない。
ジョバンニは足が震えて止まらず、カムパネルラのお父さんが「君のお父さんの帰りが近いよ」と笑顔で教えてくれる。彼は急いで家路についた。いろんな感情があふれて来るこのシーンは、読んでいるこちらもやり切れない。カムパネルラと共にいまわのきわの旅をして、もしかしたらカムパネルラをこちらの世界に留めておけたかもしれない。カムパネルラが帰ってこれない中、自分の父は帰ってくるという現実。ここでも、死や消滅の悲しみと、生存の喜びが相反している。
二人の別れの直前のシーンは、恐ろしくも、そして美しくもあると思った。カムパネルラがついと指をさした先にある穴は、ブラックホールのようでいて、ザネリを助けようと川に落ちて沈んだその先なのかもしれない。
人と人との本当の別れの直前であるのに、「人の幸いのために、二人で一緒にがんばっていこうね」と心の底から約束しあえたこの二人の友情は、消えると決まっていたからこそ、美しく見えるのかもしれない。
人の人生は、短く儚い。そんな時間の流れの中で、人のため家族のため、働く人たちはみな、とても輝いて見える。
天災や事故、何が起こるかわからない世の中で、自分は「幸い」を求めて、どのように生きていくのがよいのだろう。燈台守が三兄弟に「人にとっての幸いは何なのか」を言及するシーンがある。その人により、本当の「幸せ」が何なのかは、確かにわからない。
自分にとっての幸せって?自分は何をしていこう?そんな生き方の道しるべを、宮沢賢治に示してもらった気がする。
解説 本当の幸いとはなんだろう?
あらすじだけ読むと、なかなか難解でこの作品の主題・伝えたいことは、いったい何だったのだろう?と思われた方も多いかもしれません。
私も初めて読んだときはよくわからなかったのですが、この物語のテーマはずばり、
「ほんとうの幸いとは?」
ということだと思います。
その証拠に何度も、この言葉が登場します。”幸”という文字が出てくる箇所を文中から抜き出してみました。これを見るだけで、賢治の主張・本当の幸いについてどう考えているかがわかります。
登場人物ごとに、セリフ・心理描写を見ていきましょう。
カムパネルラ
「ぼくはおっかさんが、ほんとうに幸(さいわい)になるなら、どんなことでもする。けれども、いったいどんなことが、おっかさんのいちばんの幸なんだろう。」
「ぼくわからない。けれども、誰だって、ほんとうにいいことをしたら、いちばん幸なんだねえ。だから、おっかさんは、ぼくをゆるして下さると思う。」
ジョバンニ
もうその見ず知らずの鳥捕りのために、ジョバンニの持っているものでも食べるものでもなんでもやってしまいたい、もうこの人のほんとうの幸になるなら自分があの光る天の川の河原に立って百年つづけて立って鳥をとってやってもいいというような気がして、どうしてももう黙っていられなくなりました。
かおる子
こんなにむなしく命をすてずどうかこの次にはまことのみんなの幸のために私のからだをおつかい下さい。
ジョバンニ
僕はもうあのさそりのようにほんとうにみんなの幸のためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない。
というわけで、引用した文章を順にみていくと、本当の幸いがはっきりと見えてきたのではないでしょうか。
一言でまとめると、
本当の幸い:自分を犠牲にしても人のためになることをする
と言えるでしょう。
- もうこの人のほんとうの幸になるなら自分があの光る天の川の河原に立って百年つづけて立って鳥をとってやってもいい
- みんなの幸のために私のからだをおつかい下さい。
- みんなの幸のためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない。
というセリフに明確に表れています。
ただ、ここでひとつ注意したいことがあります。
それは物語の最後。ジョバンニが父親が帰ってくるという知らせをうけて、胸がいっぱいになるシーンです。
カムパネルラは自分の身を犠牲にして溺れたザネリを助けて、帰らぬ人となりました。これは、”ほんとうの幸い”を体現しています。だから、正しいこと・幸せなことと考えたいところですが、
ジョバンニは、もういろいろなことで胸がいっぱいになってしまうのです。カムパネルラがもうこの世からいなくなってしまったのに、自分の父が帰ってくるということ。
生と死、幸福と不幸。
相反する感情がないまぜになって混乱しているように思えます。
最後の最後で、やはり
本当の幸いとは、”生きてこそ”
ということが大切なのではないかと感じました。
当然と言えば当然なのかもしれませんが、私はそんな風に感じました。あなたはどう思われましたか?
まとめ
宮沢賢治「銀河鉄道の夜」のあらすじ・読書感想文をご紹介しましたが、いかがでしたでしょうか。
賢治の作品の中でも有名なものになりますが、やや内容は難しいものになるかと思います。ファンタジー要素がたくさんあるので、不思議な雰囲気が好きならばすっと物語の世界に入っていきやすいですが、テーマそのものは重く深いものだと言えるでしょう。
最後に、解説の部分でもふれましたが、この作品の主題について簡単に振りかえっておきたいと思います。読書感想文を書く際のポイントにもなります。
「銀河鉄道の夜」のテーマ:ほんとうの幸いとはなんだろう?
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この1,2をうけて、私が感じたのは、
ほんとうの幸い:”自分を犠牲にせずに人のために生きる”
だと考えました。正解は人それぞれ異なるかもしれませんが、答えはどうあれ、この作品が本当の幸せとは何か?ということを考えさせられるのは間違いありません。
感想文を書く際には、このポイントを広げていくと書きやすいと思います☆
宮沢賢治の他の作品については、こちらでまとめています。
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